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キャンプにハマり中!

東日本巨大地震

先ほどやっと帰宅しました…
私は地震の最中、大阪に行っていたのです。
 
 
とても大きな仕事が動いており、来週月曜日のとある会議に提出する
試作品をチェックするためです。
地震があった金曜日に急遽大阪行きを決めました。
 
 
大阪に行くのは私と当社の社長2人です。
金曜日に行ってチェックを済ましその日のうちに東京に戻ってくるハードスケジュールだったため
交通手段は空路を選びました。
予約した飛行機のフライト時間は14時30分。
 
 
何事もなく空港で時を過ごし
大阪行きの14番ゲートで大きな窓越しに飛行機を眺めていました。
時間通りに機内に乗り込みふと時計を見ると14時35分…少し遅れています。
しかし私の記憶はここまで…連日のハードワークのせいか離陸前に眠ってしまいました。
おそらく飛び立ったのは14時40分ぐらいではないでしょうか…
 
その5分後にあんな悲惨なことになるなんて…
 
 
爆睡後、伊丹空港着で携帯に届いたメールの内容は…
「東京で震度6地震があり、会社内にみんな閉じ込められ外に出られない」という内容のもの。
半分寝ぼけた頭の私は訳が分かりませんでした…大阪は平和そのものです。
 
活字の情報すこしづつ理解していくと
大変なことが起こっていることが見えてきました。
地震直後は首都圏での情報ばかりが先行し
「お台場炎上」、「ディズニーランド浸水」、「九段会館の屋根の落下」、「マグニチュード8.8」等…
これはまた関東大震災か…
 
 
フライトがも少し遅かったら羽田で閉じ込められていました。
 
 
メールのやり取り等でとりあえず会社と社員は無事であることがわかりましたが
気になるのは妻のこと…そして家は、犬は、バイクは…
 
 
電話は一切繋がりません。
メールは届きやすいとの情報でしたが妻からは返信がありません。
情報を得たいためにiモードを見ようとしますがバッテリー残量ゲージが赤色で残り1本です
とりあえずコンビニでバッテリーを買わなければ…とてもパニクッています。
 
 
空港からはレンタカーを借り、とりあえず試作品のある工場を目指します。
コンビニに寄り、車内のテレビを見ますが、想像を絶する大変な事態です。
 
 
電話は相変わらず繋がらない…
ふたたび工場を目指しますが、心配で運転に集中できません!
社長を助手席に乗せながら、何度か接触事故を起こしそうになります…危ない。
こんな時でも仕事しなきゃいかんのかと…なにかを恨みますが仕方ありません
なんとしても成功させなければならないプロジェクトです。
 
 
なんとか工場に着き、東京の情報を得ますが
やはり関西の方はまだピンときてない様子。
試作品は出来ていますがそれどころではありません、とにかく電話を…
相変わらず繋がらない!メールも来ない!固定電話からも無理。
 
 
しかし何度も繰り返していると奇跡的に妻と繋がったのです!
家に帰っていました!すべて無事です!
良かった…
 
 
こうなったら速攻で仕事を済まし一刻も早く東京に戻りたい!
と思いましたが、当然交通機関はすべてストップです。
仕事を終えやむをえず大阪での一泊を覚悟しますが、時すでに遅し…
ホテルはすべて満室、どこにも空きはありません。
私たちのような人たちがたくさん殺到したのでしょう。
仕方なく社長の奥様のお母様の家にお世話になることにしました。
 
 
 
なんと会社のみんなは家に帰れず、会社で夜を明かすらしいです
そして何人かは歩いて家に帰る者もいます。
都内はそんな人たちでごった返し、鉄道はもちろん道路も麻痺状態。
怖かったでしょう…不安で心配だったでしょう…
現場にいない自分が歯がゆくてなりません。
 
 
そんな状況を尻目に、大阪で私たちは手厚いもてなしをいただきこの夜を終えました。
次の日は組んでいた予定をバラし土曜日も大阪での作業になります。
 
 
一夜明け、東京の復旧作業は早く交通機関は回復してきているようです。
よし!今日は帰れる。
すべての仕事を終えたのは19時ころ…20時37分の新幹線に乗り東京を目指します。
 
 
またも爆睡の末、東京駅に着いてビックリ…
なにも変わらない…
景色も、人々も、電車も、秋葉原も、最寄駅も、家に向かう道も
何もかも普通です。
 
 
なんとも不思議な感覚です
妻や会社のみんなが味わった恐怖が
私の記憶に無いのは複雑な気分です…
 
 
私の部屋のスパイダーマンとメガネケースが落下していました…
そして明日の日曜日も仕事です
こんな時に会議なんてするの? 仕事しなきゃいかんの?
これも不思議な感覚です…
 
 
 
 
 
 
 
災害に遭われた皆様へのお見舞いと
お亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りいたします。